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東京高等裁判所 昭和36年(う)2108号 判決

被告人 小根沢武保

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮八月に処する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

右検察官の控訴の趣意第一点について。

論旨は、原審の量刑不当を主張するものである。よつて、所論にかんがみ記録を精査し、本件犯行の経過態様、罪質、被害の結果、犯罪後の情状、その他被告人の年令、経歴、境遇等記録に現われた一切の事情を考慮し、当審における事実取調の結果を参酌すれば、本件は被告人が昭和三十六年三月一日長野県公安委員会から第一種普通自動車運転免許を受けてなお日が浅く、運転経験が少ないにもかかわらず、夜間飲酒の上同年五月二十二日午後九時三十分頃普通乗用自動車(トヨペツトクラウン長五す三七八一号)を運転し、時速約六十粁の高速度で疾走中原判示の場所で同一方向に向い自転車で通行中の被害者馬場令宜(当二十九年)に追突して同人を二十数米前方の麦畑内に跳ね飛ばし、同人に頸椎骨折等の重傷を負わせながら、直ちに自動車の運転を停止して被害者を救護するなど必要の措置を講ずることなく、そのまま運転を継続して被害者をして右頸椎骨折による脊髄圧迫により死亡するに至らしめたいわゆる轢き逃げの事案であり、一方被害者側には何らの過失もなく、諸般の情状に照すときは、その後被告人において被害者の遺族との間に示談を遂げる等弁護人主張の被告人に有利な一切の事情を参酌しても、原審が被告人に対し禁錮一年に処し、三年間右刑の執行を猶予する旨の言渡をしたのはその科刑軽きに過ぎるものといわなければならない。すなわち、論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

同第二点について。

論旨は、原判決には法令の解釈適用を誤つた違法がある、すなわち、原判決は、本件公訴事実中、事故の報告義務違反の点を罪とならずとし、その理由として、東京高等裁判所の判決を引用し「本件公訴事実中、もよりの警察署の警察官に事故の届出をしなかつたとの点については、判示第二に認定したように交通事故があつた際、直ちに自動車の運転を停止して負傷者を救護するなど必要な措置を講ずることなく現場を立去つてしまつた場合には道路交通法第七十二条第一項前段の違反の罪のみが成立し、同項後段の適用はないものと考えられる」旨判示しているけれども、道路交通法第七十二条第一項前段の救護義務違反の罪と後段の事故報告義務違反の罪とはそれぞれ別個独立の犯罪と解すべきであるから、原判決はこの点においても破棄を免れないというのである。よつて按ずるに、道路交通法第七十二条第一項前段は車両等の交通による人の死傷等交通事故が発生した場合には当該車両等の運転者その他の乗務員において直ちに車両等の運転を停止して負傷者の救護等必要な措置を講ずべき義務あることを規定し、その後段は右交通事故が発生した場合においては当該車両等の運転者、やむを得ないときはその他の乗務員において、警察官が現場にいるときはその警察官に、警察官が現場にいないときはもよりの警察署の警察官に交通事故の発生した日時及び場所等所定の事項につき報告をなすべき義務あることを規定しているものと解すべきであり、したがつて、所論のごとく、同条第一項前段の救護義務違反の罪と同項後段の事故報告義務違反の罪とはそれぞれ別個独立の犯罪を構成するものというべく、原判決引用の東京高等裁判所の判決は旧道路交通取締法第二十四条第一項に基づく同法施行令第六十七条第一項の被害者救護の措置を講ずることなく逃走した場合には同条第二項の報告義務違反の罪は成立しないとするものであるが、右道路交通取締法の規定は新法によつて改正せられたものであつて、右の判決は本件に適切ではない。しこうして、道路交通法第七十二条第一項前段の規定は同項後段の場合と異なり刑法犯的規定であり、同項後段の場合は専ら行政取締の目的に出た行政犯的規定と解すべきであり、したがつて、両者はその義務の内容も、法益も異質のものと解せられ、その規定の性質上後段の報告義務を認めた規定は、弁護人所論のごとく、決して憲法の条規に反するものとはなし難いところである。されば、原判決が本件公訴事実中報告義務違反の点を罪とならないものとして被告人に対し無罪の言渡をしたことは結局道路交通法第七十二条第一項の解釈適用を誤つたものというべく、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかなところであるから、原判決はこの点においても破棄を免れない。論旨は理由がある。

そこで、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十条、第三百八十一条に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書に則り当裁判所において直ちに判決すべきものとする。当裁判所において認定した事実並びにこれを認めた証拠は、原判決摘示の第二の事実を「右の事故があつたにもかかわらず、直ちに右自動車の運転を停止して負傷者を救護するなど必要な措置を講ずることなく、かつ、もよりの警察署の警察官に右事故の届出をしなかつたものである。」と訂正するほか、原判決の認めた事実並びに証拠と同一であるからここにこれを引用する。

法律に照すと、被告人の所為中業務上過失致死の点は刑法第二百十一条前段、罰金等臨時措置法第二条、第三条に、負傷者救護義務違反の点は道路交通法第七十二条第一項前段に違反し、同法第百十七条、罰金等臨時措置法第二条に報告義務違反の点は道路交通法第七十二条第一項後段に違反し、同法第百十九条第一項第十号、罰金等臨時措置法第二条に各該当するので所定刑中業務上過失致死の罪については禁錮刑を、道路交通法違反の罪についてはいずれも懲役刑を選択し、かつ右救護義務違反と報告義務違反とは一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五十四条第一項前段、第十条により重い前者の罪の刑に従い、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条第十条により重い業務上過失致死の罪につき定めた刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を禁錮八月に処し、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に則り全部これを被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤嶋利郎 山本長次 荒川省三)

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